シムラの歴史・挑戦の軌跡を紐解く 【エピソード1】

チャレンジインタビュー置鮎社長高橋取締役

シムラグループは、エネルギー事業・ライフケア事業を柱に、地域に根ざした事業を展開しています。これまでの歴史の中で、画一的な事業・サービスに留まることなく、様々な『チャレンジ』を行ってきました。
今回、『シムラのチャレンジ』の記念すべき第1回目として、株式会社シムラ 置鮎社長と高橋取締役にインタビューを行いました。お二人のお話しから、これまでのシムラの歴史と挑戦の軌跡を紐解いていきたいと思います。

◇インタビュー:置鮎社長、高橋取締役

―まず初めに、お二人のご経歴について教えてください。

置鮎社長:高橋取締役とは同期で、昭和60年に入社したんだ。入社当時はまだ社名が「志村興業株式会社」で、エネルギー事業一本の会社だった。

当時は、各地にある油槽所の構内管理を主に行っていたんだ。油槽所とは、製油所で作られたガソリンなどの石油製品を一時的に保管・貯蔵して、タンクローリーに積み込むための施設、いわば中継点の役割を果たしている場所のこと。
その他にも、原油タンクのメンテナンス等も当時から行っていたよ。工事部が担っている業務だね。

 

私が最初に配属されたのがその工事部で、主に原油タンクの清掃の仕事を1年半くらい、全身真っ黒になりながら仕事をしていたな~。最初は「この中(原油タンク)に入るの?」と驚いた記憶がある・・・今でも鮮明に思い出せるよ。ただ、「重要設備を守る」というやりがいを感じながら仕事をしていたよ。

 

当時は、現在単身寮となっている建物が本社だった。今住宅型有料老人ホーム リュエル・シャンテールが建っている場所に、工事部と運輸部の事務所があったな。今の本社社屋がある場所は当時駐車場だったから、だいぶ変わったね。

入社から1年半~2年ほどしてから、業務部というところに異動となり、そこでは主に現場のサポートを行っていたよ。
その後は出光事業所でも勤務をし、39歳で役員となり、管理部次長になった。

 

高橋取締役:私は入社当時、扇町にあった油槽所に配属となり、1年目は船やタンクローリーへの石油・灯油等の積み込み、タンクローリーの受付等を担当していた。

1年半位で運輸部門へと異動になり、書類の管理等を行った。その後3年ほどして本社に移り、顧客管理等を主に行っていたよ。

 

油槽所の業務は、石油業界再編の流れで物流の効率化が進み、ここ20年位で徐々になくなっていったんだ。そのような中で、シムラも私自身も大きな転換を経て、今に至っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―ありがとうございます。エネルギー事業の現場からのスタートだったんですね。お二人のご入社後の経歴を伺ったことがなかったため、とても驚きました。
同期入社で別々のキャリアを積んでこられた置鮎社長と高橋取締役が、仕事で深く関わることになるのはいつ頃からでしょうか。また、お二人が一緒に取り組まれたことなどがあればぜひ教えてください。

置鮎社長・高橋取締役:30代前半頃だったかな。「教育研修」や「採用」を二人で注力して取り組んだのが、業務で深く関わるようになったスタートだね。

 

―置鮎社長と高橋取締役は、「教育研修」や「採用」にものすごく熱意を持たれて取り組まれていらっしゃいますが、その頃からなんですね!
「教育研修」や「採用」に注力をされるようになったきっかけは、何かあったのでしょうか?

置鮎社長:当時の現場には、あまり素行が良くない社員が多かったんだよ。私は当時も今も、とにかく『良い仕事をしたい!』という思いを強く持っている。

そのためにも、「良い人を採用したい」「良い人を定着させたい」という一心で、「採用」に力を入れて取り組んだ。

ただし、せっかく良い人材に入社してもらっても、既存社員の考えを変えて職場が良くならなければ、長くは活躍してもらえない。そこで、「教育研修」にも力を入れて取り組んでいくことにしたんだよ。

 

高橋取締役:置鮎社長、覚えてる?? 会社近くのファミレスで、二人で深夜まで議論を繰り返したよね。まずは上層部から変えていかなくてはならないと思い、30代前半だった我々が当時の幹部の人たちの意識を変えるべく、教育研修を企画したんだ。

 

置鮎社長:もちろん覚えてるよ。高橋取締役は会社から家が近かったからいいけど、うちは遠かったからホント帰宅が大変だったよ・・・。

 

高橋取締役:たしかにそうだね・・・。

教育研修を企画している中では、自分たちが積極的に外部研修に参加して、良いと感じたものは幹部や他の社員にも参加させていったりしたね。

外部研修で知識やノウハウを持ち帰り、途中からは社内で講師を育て、自前で研修を行うことも増えていったよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―30代前半で幹部の方々を動かす!お二人の「チャレンジ」ですね!

置鮎社長:意識して取り組んだことは、『反対派をあの手この手で抱き込む』『支えてくれる理解者を増やす』ということだね。地道にコツコツと取り組んだことで、徐々に形になっていったと思うよ。

社員のレベルが上がってくると同時に、お客様からの評価が『業務を任せている取引先』から、同じ目標・目的に向かっていく『パートナー』へと変わっていった。教育研修のひとつの成果として、そんなことも実感することができたよ。

この頃に味わった「人を育て成長させる」「喜びを共有する」ということが、今経営者である自分の考え方や行動にも大きく影響していると思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―ありがとうございました。大正初期創業の歴史ある会社を、30代から変えていくというお二人の『チャレンジ』、また様々なエピソードから、今若手社員に求められていることを知ることができたと思います。

 

次回は、エネルギー事業から運輸、介護という異業種への進出を果たした『チャレンジ』について、引き続き置鮎社長、高橋取締役にお話しを伺います。