現在(2018年2月)、株式会社シムラの役員であり、出光事業所 所長を兼任されている奥村所長は、なんとアルバイトでの入社でした!
アルバイト入社から役員になられた現在までの、知られざるエピソードと『チャレンジ』の軌跡を、今回取材しました。
※役職や所属部門は、インタビュー当時のものです。
◇インタビュー:出光事業所 奥村所長
―まず初めに、なぜシムラにアルバイトでご入社されたのでしょうか!?
奥村所長:一言でいって「縁」!入社は昭和58年になるのだけど、転職が決まって次の仕事が始まるまで、数ヶ月間空いた時間があったんだ。
その時に、当時シムラで働いていた近所の知り合いから、アルバイトを勧められたのがきっかけだね。
仕事内容は、北海道や九州など日本各地へ石油製品を出荷するための、船の積荷のサポート業務がメインだった。
実は、シムラのことは小学校の時から知っていたんだよ。もちろん近所に住んでいたからっていう事もあるけど、17歳の時にシムラの野球チームに所属してたこともあってね。
だから、アルバイトであってもシムラで働くことに何か強い「縁」を感じて、元々決まっていた転職先を蹴ってシムラに入社したんだよ。
―本当に、アルバイトからご入社されていたんですね!半信半疑だったので、改めて驚きです!!入社から現在に至るまでに、どのような『チャンレジ』やご苦労がありましたか!?
奥村所長:平成17年に出光事業所 副所長になるまでの約20年間は、事業所内でありとあらゆる業務を経験したよ。苦労というよりは、活躍だね!!!(笑)
『チャレンジ』と言えば、特に印象に残っているのは「全事業所横断ステップ活動(業務改善活動)」かな。
出光事業所は、シムラの中でも一番“安全”に関して自信がある事業所だったから、この経験を他の事業所にも伝えたいと思い、「全事業所横断ステップ活動(業務改善活動)」というのを企画・提案して、プロジェクトチームを編成して活動したんだ。
話すと長くなるから、それも書くのであればまだ別の記事で掲載してよ・・・。
―分かりました。今回は割愛します!
エネルギー事業部の出光事業所で長らくご活躍されてきた奥村所長が、通所介護施設の施設長もされていたと聞いたことがあるのですが・・・。
奥村所長:そうなんだよ!シムラグループとして初めて介護事業に進出した際に、通所介護施設(デイサービス)の施設長をやったんだ。『チャレンジ』も苦労も、ここからは本当に多かった・・・。
まず苦労したのが、コミュニケーション。元々いた出光事業所は男性ばかりの事業所だったけど、女性の多い介護の職場では、初めはコミュニケーションを取るところから苦労したよ・・・。
施設の特色として“音楽療法”を取り入れており、『音楽を楽しむためのミュージックサロン』をコンセプト・柱としていたので、これまで「当たり前」とされていた介護とは少し異なる価値観だったんだ。それをスタッフと共有することに、毎日悩んだね・・・。
また、正直なところ事務系の仕事も苦手で・・・請求業務やシフト作成など・・・パソコンに向かう日々も大変だったんだ・・・。
一方で、シムラグループの新しい歴史をつくる新たな事業に携われたやりがいも大きかった。高齢者の方に喜んでもらえたり、地域に貢献できている実感もあったね。今はとても良い思い出だよ。
―ありがとうございます!奥村所長の『チャレンジ』で、シムラグループのライフケア事業の基盤が出来たのですね!
現在は出光事業所の所長というお立場ですが、今後の出光事業所の展望についても少しだけ教えてください!
奥村所長:増産に伴う、社員のレベル向上だね。
今の社員のレベルは非常に高いと思っているけど、社員一人ひとりにもっと高いレベルを目指して欲しいし、私もそれを求めている。
また、今後増員していく計画もあるため、新しく入社してくださる方が既存社員に追いつき、追い越せるような教育体制を、これまで以上にブラッシュアップしていきたいと考えているよ。
高いレベルとは、まずは何より「安全意識」!安全あってこその効率だからこそ、更なる安全活動に取り組みたいと考えているよ。
―奥村所長、ありがとうございました。
『チャレンジ』の積み重ねが、今の奥村所長、そして今のシムラグループを作り上げているということを強く感じたインタビューでした。
※役職や所属部門は、インタビュー当時のものです。