現在(2019年1月)、株式会社シムラ及び株式会社ヒューマンテックの役員であり、住宅型有料老人ホーム リュエル・シャンテールの施設長を兼任されている杉本部長。杉本部長は当社に事務職で入社した後、無資格・未経験からシムラグループ初の音楽療法士となり、数々の介護事業の立ち上げに携わり今日に至っています。そんな杉本部長の挑戦の軌跡を、今回取材しました。
※役職や所属部門は、インタビュー当時のものです。
◇インタビュー:杉本部長
―まず初めに、ご入社当時の杉本部長について教えてください。
杉本部長:平成17年に、総務部門の事務職として入社しました。入社当時は、本社にて各種保険関連の手続きや勤怠、給与関連など幅広い業務に携わりました。
入社から数か月後に、会社で介護事業を立ち上げることが決まり、そこに私も携わることになりました。
―インタビュー冒頭から驚きです!介護も音楽療法も全く関係ない部署から、当社でのキャリアをスタートされているのですね。その後、杉本部長が介護や音楽療法に深く携わるようになった経緯について、教えてください。
杉本部長:ちなみに、前職も全くの異業種です。「介護」も「音楽療法」も、初めは右も左も分からない状態でした。会社で介護事業を立ち上げることがなければ、そして音楽療法を取り入れていなければ、そういった仕事に携わることはなかったかもしれません。
介護事業の立ち上げにあたって、「音楽療法を柱としたデイサービス施設を創る」という方向性が決まりました。人生の先輩である高齢者の皆様に、個人の尊厳を大切にしながら、音楽を通じて楽しい時間を過ごして頂ける施設として、「音楽療法」を取り入れる構想でした。
私は幼稚園から10年位エレクトーンを習っていたことがあり、社会人になってからも趣味では続けていました。そのようなことを、履歴書に記載した記憶があります。当時まだ事務職だった私に、恐らくそのような背景からお声がかかり、デイサービス施設立ち上げにあたっての他施設見学(静岡にある音楽療法を取り入れたデイサービス施設の見学)に同行することになりました。
そこで、衝撃を受けたのです。音楽療法を通じて、利用者様がどんどん元気に、笑顔になっていく様子を目の当たりにしました。そして、私自身もとても楽しかったことを今でもよく覚えています。「音楽にはこんな効果があるんだ!」と初めて実感しました。
元々、人の役に立てる仕事にやりがいや魅力を感じていましたが、この見学をきっかけに「音楽を通じて高齢者の方々の役に立ちたい!」と強く思いました。そこから、介護と音楽療法に深く携わるようになりました。
―本当に、資格も経験もない状態からのスタートだったのですね。実際にデイサービス施設の立ち上げに至るまで、杉本部長はどのようなことをされていたのでしょうか。
杉本部長:見学から数か月後には、デイサービス施設の立ち上げが決まっていました。そこからは、介護と音楽療法の勉強の日々でした。
エレクトーンの経験はありましたがピアノは素人でしたので、ピアノ教室に通って技術を磨きながら、音楽療法の先生のもとでゼロから療法を学び、夜間にはヘルパー2級の資格取得のための通学、そしてそれら全てと平行して施設の立ち上げ準備を行いました。
音楽療法の実習では、様々な施設に伺わせて頂きました。自分の技術不足を痛感したので、当時休みの日には1日10時間くらいピアノを弾いていました。相当なエネルギーですね(笑)。
そのような日々を経て、平成18年の「ミュージックケアステーション シャンテール(横浜市鶴見区)」開設に伴い、たった一人の音楽療法士として実際の業務をスタートしました。
―とても濃密な時間ですね。開設後には、どのようなご苦労があったのでしょうか。
杉本部長:当時はまだ「音楽療法」があまり一般的ではなく、施設のコンセプトとしても根付いていなかったため、一緒にサービスを提供する介護スタッフと意見が分かれることもありました。
音楽療法の価値を理解してもらい、実感できるような工夫をし続けると同時に、私自身介護の知識や技術を高める努力をしました。そして、介護スタッフと密にコミュニケーションを取りながら、施設に「音楽療法」を定着させていきました。
また、たった一人の音楽療法士として介護業務との兼任で仕事をしていたので、日々の音楽療法の準備や記録書の作成なども初めはかなり苦労しました。
音楽療法では、歌唱活動等で歌詞幕を使用するのですが、当時は模造紙に全て自分で手書きしたものを使っていました。100枚くらいあったと思います。
それらの準備に四苦八苦していましたが、そんな様子をお知りになった置鮎社長が、ある日パワーポイントで歌詞幕を作成し、それを大型テレビに投影してはどうかといった提案をしてくださいました。
当時の音楽療法では、手書きの模造紙を使用することが当たり前だったので、そのような試みは恐らく初だったのではないかと思います。
また、記録書の作成も、置鮎社長がシステムを導入してくださり、業務負荷が大幅に軽減されました。これらは、今でも改良しながら使われているものです。
―なるほど。今では考えられないご苦労が、当時はあったのですね。その後は、どのような仕事に携わってこられたのでしょうか。
杉本部長:「ミュージックケアステーション シャンテール」にて施設長を経験した後、平成19年に開設した「ミュージックケアステーション シャンテール西谷」の施設長も務めました。
その頃には、音楽療法士兼介護スタッフの新規採用を行い仲間も増えていたので、部下の育成にも注力しました。また、音楽療法に関する資格を取得すると共に、介護の専門性を深めるために介護福祉士や介護支援専門員の資格も取得しました。
その後、介護事業の拡大として介護用品サービス、居宅介護支援事業所、訪問介護事業所の立ち上げにも携わり、現場経験を経て、統括責任者として従事しました。平成23年のことです。
それから1年ほど経った頃、現在施設長を兼任している「住宅型有料老人ホーム リュエル・シャンテール」の立ち上げの話が出て、本社に異動となりました。
これまで、デイサービス施設や介護用品サービス、居宅介護支援事業所、訪問介護事業所の立ち上げに携わってきましたが、住宅型有料老人ホームに関しては知識が浅かったため、この時も他施設へ数日間実習に行くなど、日々勉強であり、挑戦の連続でした。
平成25年にリュエル・シャンテールはオープンしましたが、まるで昨日のことのように思い出されますね。
―様々な介護事業の立ち上げに、携わってこられたのですね!シムラグループの介護事業の拡大の背景や、様々な挑戦を続ける杉本部長のエネルギーの源は、どのようなところにあるのでしょうか。
杉本部長:音楽療法を柱としたデイサービス施設を立ち上げ、多くの利用者様に愛される施設となりましたが、お体の状態の変化など様々な事情で、ミュージックケアステーション シャンテールに「来たいのに来ることができない」利用者様もいらっしゃいました。
施設に来ることが出来なくなってしまった利用者様も、介護用品サービスや訪問介護サービスで、在宅介護を支えたい。施設への入居を希望する利用者様には、選択肢の一つとしてミュージックケアステーション シャンテールのような音楽療法を取り入れた入居施設をご用意したい。
「利用者様の状況に合わせて、様々な形でサポートできる体制を作っていく」このような思いで、事業の幅を広げて今日に至っています。
私のエネルギーの源、挑戦し続けることができた原動力は、仲間の支えです。スタッフ皆で協力しながら、利用者様を笑顔にする。その笑顔を、皆で一緒に喜ぶ。そんな仲間がいることで、苦労や大変なことも乗り越えることができ、やりがいに変わっていくのだと思います。
―杉本部長のお話は、シムラグループの介護事業を知る上で非常に参考になりました。最後に、今後の展望や、杉本部長が大切にされていることについて教えてください。
杉本部長:スタッフがイキイキとやりがいを持って働ける職場を、作っていきたいと思っています。
そのためにやるべきことはたくさんありますが、その一つは、やはり人間関係だと思います。これは当社の強みでもありますが、介護を行う上ではスタッフ同士の信頼関係やチームワークがとても重要です。
それがあってこそ、利用者様により良いサービスを提供できると考えています。そこをこれからも、大切にしていきたいと思っています。
また、一緒に働く仲間には、「やってみよう!」という思いや、挑戦する気持ちを大切にしてもらいたいと思っています。それらがあれば、知識や技術は必ず後から付いてきます。
私自身も、無資格・未経験から入社して今に至っています。挑戦を後押しする支援は惜しみません。また、挑戦を続けるスタッフの活躍のフィールドは、これからもどんどん広げていきたいと考えています。
―杉本部長、ありがとうございました。
異業種から介護事業に参入し、デイサービス施設を皮切りに介護用品サービス、居宅介護支援事業所、訪問介護事業所、住宅型有料老人ホームと事業領域を広げてきたシムラグループ。介護と音楽療法をゼロから学び、様々な事業の立ち上げに携わってこられた杉本部長のお話を伺い、改めて『チャレンジ』することの重要性を実感しました。
※役職や所属部門は、インタビュー当時のものです。